ご案内
米国自体がさまざまな圏内問題をかかえており、これまでのような積極的なコミットはしにくい状況にある。
ECは米国・ソ連の二大勢力に対抗しうる第三の経済圏を目標に結成された欧州経済共同体(EEC)を母体としている。
当初はフランス、西ドイツ、イタリア、ペネルクス三国の六カ国だった加盟国も、英国やデンマークなどが加盟し、現在は十ニカ国を数える。
八0年代なかば、総じて不振なEC経済を尻目に、日本、米国、アジアNIESといった経済圏は順調で、こうした勢力に対抗するには、経済だけでなく政治統合をも辞さない覚悟のもとに一大統合国家をつくる必要があるということになった。
これがEC統合である。
EC統合にはいくつかの段階があって、いきなり政治統合があるわ同りではない。
とりあえず九二年までの準備段階で、EC域内でヒト・モノ・カネが国境にさえぎられることなく自由に行き来できる状況をつくった。
具体的には、関税の調整・統一、諸規格の統一、パスポート・コントロールの廃止、動植物の検疫の廃止などである。
そして、九三年の統合元年からの第一段階として、まず資本移動や金融サービスの自由化をはかる。
第二段階として物理的・技術的障壁や税制上の障壁を取り除き、第三段階として通貨単位の統一を実施する。
そして最後の段階として政治統合が控えている。
しかし、これらを実施するにあたっては、加盟各国の経済力の格差や政治的思惑の違いなどがネックとなり、統合はスムーズに進んでいるとはいえない。
最大の難関となりそうなのは通貨統合である。
現行の通貨制度、EMS(欧州通貨制度)は、九二年のポンドとリラのERM(為替相場調整メカニズム)離脱に始まるいくつかの危機的状況が重なり、九三年八月にはERMの変動幅を一五%にまで引き上げざるをえなくなった。
この一連の通貨危機をもたらした最大の原因の一つは、ドイツの高金利政策にあった。
資金は高金利通貨のマルクへ流れ、他の通貨は対マルクレートをのきなみ下げていた。
それが、圏内の景気対策を切望する声もあって、とうとう中央銀行は引き下げに踏みきった。
その結果、マルクをみかぎった資金は円に向かうことになり、一ドル一OO円という異常相場をもたらす原因にもなったわけである。
ともかく通貨統合を実現させるには各国通貨間の関係を安定させることが不可欠になるわけだが、その点では今回の通貨危機でみせた加盟国の足並みの乱れは、将来に大きな禍根を残すことになるかもしれない。
ヨーロッパは陸つづきであるとはいえ、歴史も民族も文化もまったく異なる国家の集まりであり、それが統合となるといかに難航するかは想像にたやすい。
しかし、三億人を超えるEC市場はもちろん消費市場としては無視することのできない大ききである。
その巨大市場が安定的な成長をつづけていけば、世界の貿易や投資が刺激され、域外経済、ひいては日本経済までもが活性化することも考えられる。
保存食料のビンや表示の規格まで統合しようと努力する各国の姿は、日本にとっても他山の石である。
一九九O年、東西ドイツは統一された。
大国の誕生に脅威の念を禁じえなかった近隣のフランスや英国は、これを手放しで歓迎はしていない。
すでに欧州第一の経済力を誇っていた旧西ドイツが、統一によっていっそう強化し、突出した経済力を背景にEC内でも発言力を大幅に強めるのではないかと危倶した。
しかし、現時点では危倶は現実となってはいない。
統一直後の旧東西ドイツには著しい経済絡差が存在しており、政府はこの格差を埋めるには相当なコストがかかると当初から予想していた。
ところが現実には、この統一コストは机上での計算をはるかに超える大きなものであった。
ドイツ経済は九一年こそ四・五%という高めの成長を達成したが、翌九二年には一・六%と急減速した。
しかも、九二年七ー九月期のマイナス0・九%以降、九三年末までの実に六期にもわたってマイナスないしゼロ成長がつづいている。
景気後退はいま先進国に共通する問題ではあるが、ドイツの場合はインフレ懸念をかかえながらの高い失業率に悩まされている点で、深刻である。
景気対策をしようにも、旧東ドイツ地域の経済再建の巨額の財政支出が、景気刺激策に必要な財源を食いつぶしてしまっている。
九一年にいったんは下がる気配をみせた旧西ドイツ地域の失業率は、九二年の夏以降ふたたぴじわじわと上昇し、九三年末にはいまにもニ桁台に届きそうなほど悪化している。
とりわけ若年労働者たちのあいだで蔓延し始めた失業に対する危倶の念は、大きな社会問題をもたらすところまで発展した。
ネオナチグループの外国人労働者排斥運動に象徴される若者の右傾化現象も、この失業問題と無縁でない。
一方、第一次大戦の敗戦で巨額の賠償金を課せられ、ひどいハイパーインフレに悩まされた苦い経験をもっドイツは、インフレに対してはことのほか神経質な国である。
G7などの場で、世界不況克服のための景気刺激策として協調利下げが必至というム−ドのなかにあっても、プンデスパンクは頑なに高金利政策をとりつづけたそれが九二年九月の欧州通貨危機を招く一因にもなった。
しかしその直後、ドイツはようやく公定歩合の引き下げに踏みきり、九三年後半になってほんの少しではあるがその効果が現われ始めたようにもみえる。
ドイツの経済力は、その技術水準と労働生産性のなみはずれた高さが最大の強みである。
しかし、労働分配率の高さにも現われているように、賃金コストもなみはずれて高い。
これはもちろん、世界一進んでいる時短と合わせて、国民の高い生活水準を維持するうえでは大きく寄与しているが、対外的な競争力という点では致命的ともいえるマイナス要因となっている。
高い失業率とインフレ圧力が同時に存在するのもこの高い賃金のためである。
戦後最悪ともいわれる今回の不況からドイツ経済が回復する過程で、こうした高賃金構造、労働寄りの分配構造にも変化が見られるかもしれない。
前政権のS女史はあまりにも華やかな印象が強かった。
革新的な経済政策や外交政策を次々に打ち出し、それらが幸運にもことごとく成功を収めたようにみえた。
そして一九九O年、どうやら彼女の神通力もここまで、サッチャリズムも色あせてしまった感が強くなったころ、M首相は政権を受け継いだ。
M政権はその後、一二年ほどはまさに受難の時代を耐え抜かな同りればならなかった。
何をやっても悪化こそすれいっこうに好転の兆しをみせてくれない経済、ポンドがとうとうERM(欧州為替相場メカニズム)から離脱するという屈辱的な事態、それに相次ぐ保守党議員のスキャンダルが追い討ちをかけ、果てはオリンピックにまで見放される始末である。
しかし、その屈辱的なポンド切り下げこそが、皮肉にも経済凋落の歯止めとなった。
ECの通貨統合という目標にとっては大きな後退にはちがいないが、英国経済自体にとっては一つの大きな足かせがはずれたことになる。
それまで過大評価されていたポンドが妥当な水準にまで切り下げられたことにより、英国の輸出は徐々に勢いを取り戻し、貿易構造が好転に向かった。
これにともない、九二年七ー九月期からGDP(国内総生産)は前期比でプラスに転じたのである。
千葉 税理士を楽しもう。気軽に千葉 税理士が探せます。
千葉 税理士の発展性を考えてみました。千葉 税理士に有効な成分の紹介です。
千葉 税理士が始まります。デザインが豊富な千葉 税理士です。
ついに船橋市 税理士の株が上昇しています。怖いもの知らずの船橋市 税理士です。
船橋市 税理士とコラボレートしてみました。季節ならではの船橋市 税理士です。
船橋市 税理士です。個性派にオススメの船橋市 税理士です。
